1-1. 「君もLGBT当事者なの? やったじゃん」

 みなさんこんにちは、田附 亮(たつき りょう)です。僕は10代のころに飛び込んだ飲食業をライフワークに、LGBT-JAPANの代表として、FTM(Female To Male)という自身のセクシュアリティを切り口に、人としてあるべき姿やコミュニケーションの大切さ、また、自ら進んで社会の一員となる重要性などを講演会で伝えています。

 そして、僕はけっこうな「吹きこぼれ」です。吹きこぼれという言葉を聞くと、みなさんはどのようなイメージを持ちますか? 一般的には、料理をしている時に、火にかけた鍋の中身が沸騰して、外にこぼれてしまう様子を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、この言葉が教育現場で使われるのをご存知でしょうか。吹きこぼれは学校以外の教育(塾の勉強や親の指導など)を受け、他の子どもよりも学力が秀でて学校の授業に物足りなくなった結果、先生たちの手に余ってしまう生徒のことを指します。

 ここまでお話しすると、「なんだ田附、ただの自慢かよ!」という声が聞こえてきそうですが、控えめに言って僕は天才でした(笑)。というのも、昔、通っていたある大学付属高校で実施された全校模試で、全国各地に点在する系列校の生徒約2万人のうち、最高で12番という成績をおさめたこともあるくらいです。

 ただ、僕が自分のことを吹きこぼれと評するのは成績が良かったというよりも、父親の仕事にともなう海外生活や家庭の教えで、やや独特な価値観が形成されたため、時に周囲から浮いてしまう存在になったという意味合いが強いです。まさに、加熱不要の天然の吹きこぼれ人生です。


僕がどのように吹きこぼれているか。たとえば、全国で行う講演会で、話を聴きに来た若いLGBT当事者と交流する時、

「君もLGBT当事者なの? やったじゃん」

 と、いつも声がけします。他のLGBT活動家の方から、「相手の事情も知らないで、なんて不謹慎な!」というお叱りの言葉が飛んでくるかもしれません。しかし、僕はこれまで経験したさまざまな出来事を経て、心からそのように考え、語りかけています。

 ただでさえ秩序や調和を重んじる日本では、出る杭になるような強い個性は、周囲との摩擦を生み出すことがあります。さらに、僕の場合は、小学校低学年で、「自分は女の身体で生まれた男である」と性自認に対する違和感を覚えてしまったことで、自分のような人間はこの世界にたった1人しかいないのではないかと、ダークな気持ちを抱え込んでしまいました。パーソナリティとセクシュアリティにおいて持った“ダブルマイノリティ”のために、10代の間、僕は長らく苦しむことになるのです。

 しかし、断言します。人と違うことはオリジナルであって、むしろおもしろいのだと。この章では、僕がいかにして周囲からちょっぴり浮いてしまう「吹きこぼれ」マインドを確立させていったかを、幼少期から学生時代まで「田附亮子」として生きていた時のエピソードをまじえながら、みなさんにお伝えしたいと思います。


(取材・文:大下直哉