1-2. 祖母と母から受け継いだ、吹きこぼれマインド

 僕の家族構成は、父と母、二人の姉、そして末っ子の僕の5人家族です。振り返ると僕の人格形成は自立心の強い母と祖母に強く影響されました

 最初に、僕が14歳の時に亡くなった祖母の話をしたいと思います。祖母・トヨは大正3年、東京都北多摩群で生まれました。大正・昭和初期と、かつて日本が戦争にひた走っていた激動の時代を生き抜いた強い女性です。

 祖母の豪胆なキャラクターを物語るエピソードがあります。戦局が悪化し、「一億玉砕」というスローガンのもと、本土決戦がいよいよ現実味を帯びてくると、女たちが行っていた竹槍訓練にもそれまで以上に熱が入りました。そんな様子を見て女学生だった祖母は、「竹槍なんかで本当にやっつけられると思ってるのかい? こんなこと、なんの意味もないよ!」と、啖呵(たんか)を切ったといいます。タブーとされることでも、真実から決して目を背けなかった祖母は、やがて戦争が終わると祖父との間に僕の母を含む3人の子どもをもうけ、立派に育て上げました。

 年を取って病を患ってからも、気っぷの良さは相変わらずでした。入院中、祖母が大好きなタバコを病院のベッドでふかしているのを見て、見舞いに訪れた母が「おばあちゃん、ダメじゃない!」というと、「このぐらい、あんでもねぇよ!!」とつっぱねていました。

 そんな祖母と二人きりになる時、僕はほんの少し緊張気味だったのですが、祖母の「入れ歯」に興味津々で、「おばあちゃん、入れ歯取って」と何度もねだりました。祖母が入れ歯をガポリと取る様子がおもしろく、何度も入れ歯を着脱してもらい、それを見て僕はヘラヘラと笑っていました。

 孫の中では僕が一番年少だったので、祖母から特にかわいがられたように思います。祖母のもとへ行くたびにお小遣いをもらえることに味をしめ、「おばあちゃんだいすき、だっておかねくれるもん」という、なんともゲンキンなメッセージカードを祖母にプレゼントしたのは、今でも家族の語りぐさのひとつです(笑)。

 そして、祖母に育てられた母・千恵子もまた、とても鋭い視点を持った人です。小学校のころ母とテレビを観ていると、風俗嬢に関する特集番組が流れていました。僕が「こういう仕事をする女の人って、ちょっとヘンだよね」と口にすると、

「そうかしら。昔、おばあちゃんも言っていたけど、『性を売る仕事』をする人がいてくれたから、戦後の混乱期に街の治安が維持されていた部分もあるのよ。それに、女性たちによるサービスを買いたい人がたくさんいるという意味では、他の仕事と同じじゃないかしら」

 と、職業に貴賤がないことを、しっかりと論理立てて話してくれました。歯に衣着せぬ物言いをする豪胆な祖母・トヨと、冷静に物事の本質を見極める母・千恵子。二人の特徴を受け継ぐことで僕のちょっと世間ズレした「吹きこぼれ」マインドは形づくられました。

 それが現在、僕が代表を務めるLGBT-JAPANの活動理念である、「LGBTと社会の双方を近づけることで、真の理解促進を目指す」という、どちらか一方の歩み寄りでは実現できない、より本質的なゴールへとつながっていくことになります。


(取材・文:大下直哉