LGBTと個性
みなさんこんばんは、ライフ部門のあいです。
最近LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの総称)という言葉の認知度がかなり高まっております。『今年の新語2015』はLGBTが三位にノミネートされるほど。
さて、このLGBTという言葉が広まる中良く耳にするようになった次のような謳い文句があります。
『LGBTは個性である』
私もこの考えに大いに賛成ですが、先日セミナーを開催した時にこんな質問をいただきました。
『LGBTは個性ということについて、具体的にどのように考えていますか?』
なるほど、たしかに具体的にどう考えているかまで話される機会はあまりありませんね。
この件に限った話ではありませんが、広く使われるようになった表現や謳い文句は、中には言葉の中身が空っぽになっていたり、薄っぺらくなっていることもあります。
『LGBTは個性』という言葉については、特に当事者以外の人からすれば全く伝わらない可能性すらあり得ます。
と、いうことで。今回は改めまして、私なりの個性の解釈をお伝えしたいと思います。
そもそも個性とは?LGBTとは?
ではまず、個性とLGBTという言葉それぞれについて考えてみたいと思います。
まず個性とは。個性には個体(個人)としての意味と、ある一定の集合体(例えば会社など)のふたつの意味で用いられますが、今回は前者の個人に焦点を絞ります。
簡潔にまとめると、個体毎の行動的、気質的、感情的、精神的な特徴を個性と言います。
例えば、好みや特技、怒りっぽい優しいなどの性格などですね。
では次にLGBTとは。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略称でこれに限らずセクシャルマイノリティー全体を指すことが多いですね。
レズビアン、ゲイなど同性愛は文字通り恋愛物対象が同性の人たち。バイセクシャルは恋愛対象が異性、同性両方の人たち。そしてトランスジェンダーは性同一性障害など身体と心性別が不一致の人たち。また、トランスジェンダーの中には自分の性自認、つまり心の性別が男女どちらかはっきりとわからない人たちも含まれます。
LGBTが個性とはどういうことか
繰り返しますが、個性とは個体毎の特有の性格や行動です。対人関係上の好みは別として、社会のルールや他人に害を与えるものでなければこれを責められる必要はないはずです。
現在、恋愛といえば男女の番いが一般的な価値観ではありますが、それが同性に向いたとしてもルールに反しているとは言えません。
トランスジェンダーにおいてもそうですね。心と身体の性別が不一致なことで、社会生活が苦痛。ならばと、自分が過ごしやすいように自身の身体、あるいは洋装を選んでいるだけです。
大切なのは、これらが自分の意思で変えられるものではないということ。
例えば、異性愛の人に対して『今日から恋愛は同性間のみとする』なんて言ったところですぐにそうできるでしょうか。
そして、個性というのは個人がその人らしく生きるための根っこでもあります。
同性愛だったからこそ培われたその人の素晴らしさ。トランスジェンダーだからこそ培われたその人の素晴らしさが間違いなくあります。
いわばその人の起源とも言えるかも知れません。
こういったことから私は『LGBTは個性である』という考えを大切にしています。
LGBTという枠に囚われ過ぎない
さて、ここまでLGBTと個性との関係をお話しました。
ですが、ここで気をつけていただきたいことがあります。LGBTを始めたした属性に執着して、個性の本質を見失わないで欲しいのです。
例えば性同一性障害について。
『心と身体の性別がちぐはぐなんだから、身体は手術して、戸籍も変えるのが当たり前』と言った固定観念を持たないで欲しいのです。
例えばFtM(生まれ持った身体は女性、心は男性の性同一性障害)が胸もとらず、ホルモン治療もなく、服装は男性。そのまま進まず生きていくのは自由。
例えばMtF(生まれ持った身体は男性、心は女性の性同一性障害)が手術をして女性の身体になったけど、名前も戸籍の性別も男性のまま。これも自由。
こういった状態を中途半端だ、と揶揄する人もいらっしゃいますが、そこで本人が簡潔したと言うならばそれで問題はないはずです。
その人が一番生きやすい形を取っていて、別に周りに迷惑をかけるわけでもない。
この状態を指摘することは第三者に出来るはずもないのです。
大切なのはその人の生き方を知り、それをわかろうとする思いやりです。LGBTに限った話ではありませんが、自分と違うものを攻撃するだけでは動物と変わりません。
私もそうですが、人を受け入れる心をもって精神的に豊な人間関係を気付いていきたいと思います。