性同一性障害ってなに?

みなさんこんばんは、ライフ部門のあいです。

このブログを読んで下さっている方の多くは性同一性障害という言葉、あるいはそう呼ばれる人達についてなんとなくでも想像が出来るのではないかと思います。

中には『なんとなくどころか、ばっちり知ってるぜ!』なんて方もいらっしゃるでしょう。

私も最近まではそのうちの一人のつもりでした。なにせ自分自身がMtF(身体が男性、心が女性の性同一性障害)なわけですから身をもって知っているわけです。

ですが、LGBT-JAPANの一員として活動し、多くの性同一性障害当事者、あるいはトランスジェンダー、あるいはLGBTとされる多くのセクシャリティの方々とお話する機会を得て私の考えがごく狭いものであることに気付いたのです。

かつての私にとって性同一性障害とは、『心と身体の性別が不一致である人』という認識でした。

これは別に間違いではないと思います。しかし、これが100点満点ではない。最近になってそう考えるようになったのです。

性同一性障害として認められるために?

私は親にカミングアウトしたときに、『あなたは性同一性障害ではない』と言われました。

それは私がバイセクシャル(両性愛者)であったこと。男の子っぽい趣味も持っていたこと。

要するに、少なくとも当時一般にイメージされる『MtFはふつうの女性よりも女らしい』というような人物像ではなかったから、おまえはちょっとおとなしい男の子だと言われたのです。

それでも認めて欲しい、女として生きたい自分をわかって欲しいと思った私は女性らしくあるべく一挙手一投足に気を配りました。

今の私しか知らない人が見たらびっくりするかも知れません。

ですが、今振り返るとあのときの私は『女性らしく、ではなく性同一性障害らしく』あるために努力していたようにも思います。

自分らしく生きたいから女性になりたいのに、無理やり性同一性障害らしく…本末転倒だと思います。

まぁ、そのおかげで当時はだいぶ男性にちやほやしていただいたので無駄ではありませんでしたけど(笑)

性別とは関係ない自分

ここで少し、私のお話をしたいと思います。

私は子供の頃、特に女の子になりたいと思ってはおりませんでした。男の子とチャンバラもするし、女の子とおままごともする。小学校に入ってからも男の子とスポーツをすることもあれば女の子とおはじきやお絵描きに興じることもある。

初恋は女の子でしたが男の子を好きなったこともあります。

多くの人が持つ性同一性障害当事者のイメージとして『小さい頃から反対の性別になりたかった』とか『大きくなったら望む方の性別になれるものだと思っていた』とか『好きになるのは(戸籍上の性別から見て)同性ばかりだった』なんて話をよくメディアなど耳にするかと思います。しかし、私はそんなことは一切なかったわけです。

そんな私が何故、自分は性同一性障害だと思ったのか。何故、性別適合手術を受けて女性として生きようと思ったのか。

それは、大学生の頃のこと。社会人として生きることを具体的に考えるようになった時に私の中には二つのイメージが浮かびました。

一つは男性として、可愛い奥さんと子供のいる生活

一つは女性として、頼れる夫を支える自分

本当にどちらもしっかりとイメージできました。しかし、一つだけ。社会人として所謂男性的な生き方を求められたりすること。これだけはどうしても受け入れられなかったのです。

だから女性として生きたい、と考えました。

もしかしたら他の人から見たら『そんなことで?』と思うかも知れませんね。けれど、それはそれで良いのではないかと、思っています。

だって、管理職や現場でかっこよく生きる女性も、保父さんや主夫としてパートナーを支えて生きる男性もいらっしゃいます。

それなのに性同一性障害当事者だけは、望んだ性別に対して『男性らしさ、あるいは女性らしさ』を求められるなんておかしいじゃないですか。

もちろん、性別適合手術によって身体をかえたら後戻りは出来ないので熟考と覚悟は必要です。

ですが、私のように女らしくない。男として生きることもできたかもしれない、なんて考えるMtFが、性同一性障害当事者がいたって良いのではないかと思うのです。

だから、広くイメージされる性同一性障害像と違うからと言って『私は(あなたは)性同一性障害じゃないんだ』なんてことはない。

世間のイメージとは関係なく、まずご自身のあり方と向かい合ってみてください。

そして周りに当事者がいるかたも。まずはその方の思いに耳を傾けていただけたらと思います。