偏見について

みなさんこんにちは。ライフ部門のあいです。

さて、今回のお話は偏見についてです。LGBTに関わる人、特に当事者のみなさんは悲しいかな、嫌という程耳にする言葉でしょう。

この偏見について考えるにあたり、まずは偏見とは何かを整理しましょう。
偏見という言葉の意味は、一部の偏った考え方や知識に基づいて第三者的目線の根拠なく特定の個人・集団などに対して抱くネガティヴな感情、です。

例えば、ネット上の一部の歪んだ情報を元にあの人達はおかしい、と言った負の感情をもつこと。LGBTに当てはめてみると、メディアの影響もあり性同一性障害も同性愛者も性的な存在として見られているフシがあります。

この偏見というやつの厄介なところは、偏見を持つ人達に必ずしも悪意があるわけではないことにあります。

その時の発言に悪意があったとしても、その考えに至る入口となる情報は本人の意思と関係なく仕入れられることが多いのです。

坂上忍氏による東大生への苦言

10/1 TBSにて『好きか嫌いか言う時間 日本イライラ解消SP』という番組が放送されました。その中で俳優の坂上忍氏が下記のような発言をされていました。

『偏見を持たれたままにしてるのは、あなたたちのせいかもしれない』

これは、東大生が自分達は偏見を持たれているとした上で『東大生ならではの良さを活かすような、使いこなせるような度量のある方々が…』という発言をした方に向けられたものです。

坂上氏はこれに対し、『でも使いこなすとかではなくて、使われる立場だとするならば、もうちょっと話し方を勉強した方がいいよね』『偏見を持たれたままにしてるのは、あなたたちのせいかもしれない』と考えを述べられました。

この番組はLGBTとは関係ありませんが、しかし、坂上氏の発言はLGBT当事者にも当てはまるところごないでしょうか。

LGBTである自分を認めて欲しい。しかし、認めてもらうには偏見を払拭する必要があります。

その為の活動をしている団体はあります。個人としてうったえている人もいます。

ただ、その声はまだ小さくメディアによるバラエティ的なLGBTのイメージを越えられていないのが現状です。

認めて“ほしい”だけになっていないか

人は他者に認められたがる生き物です。認めて欲しいから、自身を知って欲しいと思うのは人として自然な行為と言えます。

しかし、それがあまりに一方的では受ける側にとってストレスになり得ます。

私が当時、自分が性同一性障害であると両親へカミングアウトした時のことです。

父だけはそれを断固として認めてはくれませんでした。気持ち悪い、ふざけるなと言われました。

では、私はそんな父に対しどうしたかと言えば…性同一性障害の知識や書物を押し付け、理解を強いるばかりだったのです。

そう、そこには長男が突然女の子になりたいと言い、ショックを受けている一人の人間への配慮は微塵もなかったんです。

たしかに認めて貰えないのは辛いです。好奇の目や偏見で見られるのは堪え難いことでしょう。

しかし、相手を見ずひたすらに自分を理解して欲しいと言うのは一歩間違えればエゴともとれます。

悲劇のヒロインでいるだけては、相互理解には至らないのです。

 

具体的にどうするか

これは人によっても違いますし、一概に答えはないと思います。

ですが、基本はまず相手の胸中を全て受け入れることからだと私は考えています。

偏見にまみれた自分のイメージを真っ向から受けるのは精神的にしんどいかも知れません。ですが、相手の思うことを全部知って、冷静に少しずつ偏見を解くことが必要ではないでしょうか。

 

また、最初から自分の全てを受け入れてはもらえないということを覚悟する必要もあるかも知れません。

千里の道も一歩から。急がば回れ。

まずは一部でも少しでも、理解してもらえれば。話を聞いてもらえるようになれば。それの積み重ねではありませんか。

『この人は私を受け入れてくれないから』と言ってそこで対話をやめてらそれ以上の進展はありませんよね。これによって変わるのはあなたの周囲だけかも知れませんが、これも大きな前進の為の一歩となります。

そして、私たちはこれを団体としてやっていきたいと考えています。まだまだ声の小さな団体ですが、誠実に前向きに。私たちの声を世間に届け続け、偏見のない世の中になるよう今日も一歩進みたいと思います。