こんにちは!アパレル部門のちゃんかなです(^^)

久々の投稿になります。

約一週間、インフルエンザで寝込んでおりました(*_*)

急に寒くなって、風邪真っ盛りですね。。。泣

みなさんも気をつけてください。

という感じで、本日はデザイナー紹介です!!

今回はこちら!!

クリストバル・バレンシアガ・エイサギーレ(Cristobal Balenciaga Eizaguirre)

Cristobal Balenciaga (1895-1972), Spanish fashion designer, at Coco Chanel's funeral.

Cristobal Balenciaga (1895-1972), Spanish fashion designer, at Coco Chanel’s funeral.

この方は、スペイン・ゲタリア出身のファッションデザイナー。

彼は、ゲイとして生きた方です。

生涯。。。

1895年、バスク地方にあるビースケー湾に面した漁村、ギプスコア県ゲタリアに生まれました。

母親は裁縫師であり、幼少のバレンシアガは作業を行う母親の下で過ごした。

じゅうにさいの時に洋裁師見習いとして働きはじめ、ティーンエイジャーの時にはゲタリアの町でもっとも高貴な身分のカーサ・トレース伯爵夫人がバレンシアガの顧客・パトロンとなりました。

伯爵夫人は、バレンシアガをマドリードに送り、そこで正式に洋裁師としての修業を積んだ。

1919年にギプスコア県サン・セバスティアンにブティックを開店させ、やがてマドリードとバルセロナに支店を開いた。

スペイン王室と王侯貴族がバレンシアガの顧客となったが、1936年に勃発したスペイン内戦の影響でこれらの店を閉め、バレンシアガは、フランス・パリに移住した。

1937年8月には、パリのジョルジュ・サンク通りにクチュールメゾンを開いた。

メゾンは、これ以来パリを本拠地とした。

ハーパス・バザー誌の編集者カーメル・スノーは初期の顧客である。

1950年代から1960年代にかけてオートクチュール顧客には、ポーリーヌ・ド・ロートシルト、グロリア・ギネスらがいた。

当時、コルセットでウエストを絞るデザインが流行したのに対し、

1955年発表のチュニックドレスや

1957年のサック・ドレスなど、平面的なフォルムの作品を発表、多くの支持を得た。

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ユベール・ド・ジバンシーはアシスタントを務めたことがあり、オスカー・デ・ラ・レンタも影響を受けたという。

アメリカ合衆国の元大統領ジョン・F・ケネディは妻のジャンクリーンと連れだってバレンシアガの服を購入していた。

バレンシアガは、「クチュール界の建築家」と呼ばれ、ココ・シャネルは彼を「すべてを一人でこなすことのできるただ一人のクチュリエ(オートクチュールを作る人)」と評した。

すごいですね。

ちなみに、ちゃんかなも目指しているのはクチュリエールです(^^)

クチュール・オートクチュールとは、現在でいうオーダーメードの的なものです。

オーダーメードの高級バージョンというべきでしょうか。。。

このオートクチュールをする人を、クチュリエ・クチュリエールと言います。

オーダーメードにも様々ですが、一番多いのは、衣装などですね(^^)

その線引きなどは私も曖昧ですが、一点ものだったら、オーダーメードだと私は認識しています。

そんな風に、私はなりたいです(^^)

だから、憧れます!!

その後、彼はバレンシアガというファッションブランドを創立し、

1972年3月23日にバレンシア州アリカンテ県シャビアで死去しました。

現在、バレンシアガの、高級服店は、アレキサンダー・ワンの監督、グッチグループの所有の下で営業を続けています。

有名なブランドでなくてもこんなに長く続けられるのはすごいです。

こんな話を見るとモノ作りしたくなりますね(^^)

というわけで、ちゃんかな趣味で新しいジャンルのモノ作りに挑戦したいと思います!!

今回はこちらに挑戦!!

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グラスにお絵かきです!!

百円ショップで、

グラスもゲット!!

Jpeg

Jpeg

がんばるぞー!!

完成作品は、後日載せます(^^)

お楽しみに!!

 

LGBTにとってファッションがもっと身近なものになりますように。

ちゃんかな