こんにちは!アパレル部門のちゃんかなです。

今日は、LGBTのファッションデザイナー紹介特集

第一弾をしたいと思います(^^)

今回はこの人!!

クリスチャン・ディオール(Christian Dior)

BRAND_BIO_BSFC_108685_SF_2997_005_20131219_V1_HD_768x432-16x9

 

みなさんご存知、あのハイブランド、クリスチャン・ディオールのデザイナー

クリスチャン・ディオール。

彼もLGBTとして生きた一人です。

1950年代に活躍したフランスのファッションデザイナーの彼は、1905年にフランス北部ノルマンディーマンシュ県・グランヴィルでモーリス・ディオールの5人の子供の内の2人目として生まれました。

父親は肥料の生産事業を行う裕福な家庭でした。

彼の両親は、息子に外交官になってほしいと言う望みがあったため、1920年から1925年12月までフランスのパリ政治学院に学びますが、彼自身は芸術に強い興味を持っていました。

また、彼はそれを開かしませんでしたが、ゲイでした。

結局、1928年に父親からの出資をもとにして、友人と共に小さなアートギャラリーをもち、パブロ・ピカソや、マックス・ジャコブなどの絵を置き、3年後、世界恐慌により、彼の父親がその資産を失ったことを受けて、ギャラリーも閉鎖を余儀なくされました。

1937年、ディオールは、ローベル・ピゲに雇われ、そこでピゲのコレクションのためにデザインをする機会を得ました。

後年、ディオールは「ぴげからシンプルであることの長所によって真のエレガンスが現れることを教わった」と語っています。

ディオールがピゲのためにデザインしたものの中には、例えば、’Cafe Anglals’などがあり、これは好意的に受け入れられています。

1946年12月8日に、マルセルク・ブサックの後援ももとに、ディオールは自身のクチュールメゾンをパリ、アヴェニユー・モンテーニュ30番地に立ち上げ、翌1947年2月12日に最初のコレクションを発表しました。

当初、このコレクションには、「コロール」(花冠を意味する植物学由来の言葉)の名前が付けられていましたが、「ハーパス・バザー」編集長であったカメール・スノウがこのコレクションを評した、「ニュールックス」というフレーズでしられています。

これは、アラビア数字の8にも似た、細く絞ったウエストとゆったりしたフレアスカートを特徴とするもので、戦時中の資材不足により、フランスのクチュリエ(オートクチュール専門デザイナー)達が一着の服に使える布の面積に厳しい制限を抱えていたのに対し、贅沢に布を使用した点にも特徴を持っていました。

このディオールのニューラインには、第二次世界大戦中に生地が配給制であったために、主流であった、ボックス型よりも女性的であると評されました。

いずれにしろ、ディオールは、女性の服装に革命を起こし、また、第二次世界大戦後のパリを再度ファッションの中心地として復興させました。

ディオールは、休暇先のイタリアモンテカティーニ・テルメを訪れていたが、その地で1957年10月23日に急死しました。

いくつかの報告によると死因は、魚を喉に詰まらせた心臓発作であるとありますが、ディオールと親しい関係にあった社交家のBaron de Rede’が記したところでは、「心臓発作の原因は活発な性生活にあった」といった噂が巷では流れていたようです。

最期まで、性に誇りを持っていたんですね。

ステキですっ

こんな感じでディオールさんでした(^^)

他にもいっぱいLGBTのデザイナーさん多いですっ!

みなさんに、ファッションを身近に感じてもらえるように、これからちょいちょい紹介しようとおもいます(^^)

 

ちゃんかな