性同一性障害をテーマに卒論を

みなさんこんばんは、あいです。

陽射しが少し和らぎ、夜には鈴虫の声が聞こえる季節になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

大学を卒業して7年も経つとすっかり忘れてしまいますが、いま大学生のみなさんは卒論作成にとりかかっている時期なんですね。

今日はとある大学の学生さんから「性同一性障害をテーマに卒論を書きたいので、インタビューに協力して欲しい」とお願いされお会いして来ました。

今回はそのインタビューを通して私が考えたことをブログにまとめさせて頂きたいと思います。

当時感じた生きづらさとは

今回インタビューの主軸となったのは、学生の頃のお話でした。学生の頃、性同一性障害であることで何を辛いと感じたか、というこですね。

これは私、そして多くの当事者が感じたことだと思いますが、自身の望む性別として接してもらえないことです。

簡単に言うと、例えば私はMtF(生まれた性別は男性、心は女性)なので女としてみて欲しいが、扱いは男であった、ということ。

それは服装であったり、授業やグループなど性別で分けられる時に望まない方に属することであったり、更衣室やトイレのことであったり。

これらを自身の望むようにできないことは一つの生きづらさであったと思います。

そしてもうひとつ大きな問題は人間関係です。多感な時期の中高生が、性同一性障害という自分達はとは異質な存在が現れたときどういった反応をするか。

第二次性徴をむかえ、性に関する関心が高まっている中高生にとっては良くも悪くも注目される存在となります。

そしてそれは、時にいじめという形であらわれます。もちろん、それは当事者を含めた学生ひとりひとりの人柄や性格によって大きく変わりますが、それでも要因のひとつとなることは少なくありません。

これらの問題をどう支援していけるか

さて、それではこの問題を学校や支援者がどう支えていけるでしょうか。

世間的に言われているのは教員をはじめとした周囲への理解です。

学校にかぎらず現在の社会のほとんどは”男と女”によって成り立っています。性別はそのふたつだけでそれ以外はない、と。

まずはその固定観念にメスを入れる。学校で言えば教育に盛り込み、性同一性障害という存在がいる。そういう人もいて良いんだ、という基盤が作れたらと思います。それは性同一性障害に限らず、様々なマイノリティ全てにおいて言えることではありますが。

しかし、ここで気をつけて欲しいのは理解して欲しいというのは「性同一性障害とはこういう人達のことをいうんだよ」と知って欲しいということです。

今の社会ではちょっとだけやりにくいところがあるから、支援者の方はそこをサポートして頂けたら嬉しいんです。

支援とは、「性同一性障害をかわいそうだから守ってあげる」ことではありません。当事者が他の生徒と同じように努力し、成長する場を作ることだと私は考えています。

支援者と当事者がともに歩み寄る

今回卒論に性同一性障害を取り上げたい、と言って下さったことに対して、私はとても嬉しく感じています。それは当事者以外の方が私達を理解すべく動いて下さったからです。

この件に限らず、近年では多くの方が当事者を理解すべく活動して下さっています。

しかし、それだけでは性同一性障害をはじめとするマイノリティはいつまでもマイノリティから抜けられないと感じています。

支援して下さる人がいて、その恩恵を受けるだけでは何も変わらないからです。性同一性障害は障害ではありません。

身体と心の性別が不一致なだけで健康な身体を持っています。人間関係がうまくいかないこと、仕事がないことを全て性同一性障害のせいにして、支援者の好意に甘んじては立場は好転しないと考えます。

理解を示し支援して下さる方がいることを当たり前に思わず、当事者も強くあらなくてはならない。

そんなことを改めて考えるきっかけをいただきました。